Research — March 12, 2026

南海トラフ地震シナリオにおける マクロからミクロへのシミュレーション分析

投稿者 Takei Ryo, Yan Jiang, and Min Jiang


2026年に入り、金融機関は多様なマクロリスクに直面している。中東情勢や米国の政策変更を含む地政学的緊張の高まりを受け、世界的な不安定化への懸念が強まっている。地政学的リスクおよび貿易・関税政策の変更が重要課題として認識される一方で1、生活コストの上昇、持続的なインフレ、急速なAI導入による労働市場およびエネルギー部門への波及効果が、リスク環境を形成し続けている。2

こうした状況下において、(1)発生確率が高く、(2)一定の期間内に発生が予想され、(3)被害が壊滅的となり得るマクロリスクに直面することは極めて稀である。しかし日本では、南海トラフ巨大地震がまさにその条件を満たすリスクとして存在する。

京都大学の地震・火山災害の第一人者である鎌田浩毅教授は次のように警告している。

“2030年代には南海トラフ巨大地震が予想され全人口の半数6800万人が被災する。東日本大震災の10倍の被害をもたらす「西日本大震災」であり、その前後には東日本大震災の5倍の被害をもたらす首都直下地震が、また富士山噴火が誘発される可能性もある。いずれも日本の根幹を揺るがす激甚災害で喫緊の対策が必要である。3

鎌田教授の見立てに基づくと、日本政府および民間企業が備えと被害の低減に向けた取り組みに充て得る期間は、5〜15年程度に限定される可能性が高い。

マクロからミクロへのシミュレーション枠組み

資産または融資のポートフォリオを保有する金融機関にとって、将来顕在化し得るマクロリスクを把握することは不可欠である。同時に重要なのは、それらのリスクが自社の具体的なエクスポージャーにどのように波及するかを理解することである。そこで本稿では、マクロレベルのショックを、ポートフォリオまたはリスク要因レベルの「ミクロ」リスクへと変換する体系的枠組みを提示する。

マクロ事象から粒度の高いリスク指標へと変換するプロセスは、次の3つのステップに整理できる:

  1. マクロショックの生成
    マクロ事象の内容を適切に把握し、それを主要なマクロリスク要因に対するショックとして落とし込む。本ステップでは、専門家による判断に加え、過去の類似危機の歴史的事例を参照することで、株価指数、GDP、金利、通貨ペア、商品価格といった各種変数に対して妥当性のあるショック値を設定する。
  2. マクロショックをミクロレベルのショックへ変換
    マクロリスク要因とミクロリスク要因の過去データに基づく相関関係を用い、マクロショックをポートフォリオレベルのドライバーへ投影することで、一貫性のあるミクロレベルのリスクショックを生成する。
  3. 粒度の高いリスク指標の算出
    ミクロレベルのショックを評価モデルに適用し、ポートフォリオの損益(P&L)への影響を算出する、あるいは企業レベルの信用リスク指標を推計する。

これらを実装する上での最大の課題は、枠組みを「歴史的事実に基づいたもの」に保ちながら、同時に「スケーラブルなもの」にすることである。第1・第2段階は、過去に観測された共分散関係に基づいている必要があり、第2・第3段階は、多数のリスク要因を扱っても整合性や計算の実用性を損なわないことが求められる。

本枠組みを実践的に示すために、円建て資産ポートフォリオを対象に南海トラフ巨大地震シナリオを適用する。あわせて、信用分析における有用性を示すため、iTraxx Japan指数の主要構成銘柄についても同様の枠組みによる検証を行う。

マクロショックの生成 – Global Link モデル

S&P Global Market Intelligence のGlobal Linkモデル4は予測およびシナリオプランニングを目的として設計されており、70の国別モデルを相互に連結するとともに、主要なグローバルパフォーマンスドライバーとも連動している。このモデルは世界GDPの95%をカバーし、各国につき250-500の時系列データを含んでおり、四半期ごとに更新されている。また、本モデルはベースライン予測に加え、カスタマイズ可能な30年予測を詳細な専門家評価を組み込んで提供している。

このシナリオでは、地震が2026年の初めに発生すると仮定し、そのショック(影響)を4四半期にわたって評価する。これらのショックには、日本株式、金利、クレジットスプレッド、そしてUSD/JPYの変動が含まれており、下表に示す通りである。結果は、地震によるショックが第1四半期に発生し、特に日本株式およびクレジットスプレッドの変動を通じて、最も顕著に現れることを示している。一方、その後の四半期はショック後の回復過程を反映した動きが確認される。

推論モデル

S&P Global Market Intelligence のBuy Side Risk Solutionを構成する推論モデルは、ユーザーが選択したマクロレベルのショックからミクロレベルのショックを導出することが可能である。このモデルは、資本資産価格モデル(CAPM)と同様に、過去の履歴データから算出する分散共分散行列を用いてマクロショックに対するミクロリスク要因の感応度(いわゆる「ベータ」)を推定する重回帰分析を基盤としている。共分散行列は、主に選択されたキャリブレーションウィンドウやその他のモデルパラメータ5によって規定される。実際にはこの共分散行列は、結果として得られるミクロレベルのショック予測を形作る上で、インプットとして与えるマクロショックと同等に強い影響力を及ぼす。

南海トラフ地震シナリオのモデリングに際して、以下2つの共分散ウィンドウを用いる。

  1. 第1四半期の共分散ウィンドウ(2020年2月1日〜3月17日): この期間は新型コロナウイルス感染症拡大初期に伴う市場ショックをとらえており、直後の混乱局面におけるリスク要因の動きをキャリブレーションするために用いる。
  2. 以降の四半期で用いる共分散ウィンドウ(2020年3月18日〜6月1日):この期間は、金融市場が初期回復に向かう局面を反映しており、残りの3四半期のショックの推計に用いる。

これらのウィンドウは、モデル化された動き(ダイナミクス)をシナリオの前提条件に合わせる目的で選定されている。

ポートフォリオ損益

以下の4つの資産タイプで構成された、円建ての資産ポートフォリオを用いる:

  • 日本株
  • 日本国債 (JGB)
  • 外国株
  • 外国債券

債券ポジションは無リスク利回り曲線およびZスプレッドを用いて評価し、株式ポジションはスポット株価を用いる。また、海外資産の評価には、円と該当資産通貨との関連為替レートも反映させる。すべての資産価値は、南海トラフ地震シナリオとベースライン(地震なし)シナリオの双方において算出する。

図1は、南海トラフシナリオ(赤)とベースラインシナリオ(黒)におけるポートフォリオ価値を示している。点線は、四半期末に資産がリバランスされた場合のポートフォリオ価値を示す。

図2から5は、4つの資産タイプの平均値および分布の推移を示している。これらの図より、ポートフォリオ価値の初期の上昇が主に日本国債 (JGB) の上昇と海外資産における米ドル/円 (USDJPY) の急騰によってもたらされ、日本株の下落を上回ったことがわかる。しかし、第2四半期に入ると、USDJPYの反転によりポートフォリオの上昇幅は縮小する。さらに最終四半期には、USDJPYの水準がもとに戻り、日本株および海外株が総じて弱含んだことで、JGBと海外国債がプラスの収益を出したにもかかわらず、ポートフォリオ全体は下落に転じる。

Macro-to-Micro Simulation

図1: 南海トラフ地震シナリオおよびベースラインシナリオにおけるポートフォリオ価値の推移。点線は四半期末でリバランスを行った場合を示す。

Macro-to-Micro Simulation

図2: 日本株ポジションの推移と分布(左:ベースラインシナリオ、右:南海トラフ地震シナリオ)

Macro-to-Micro Simulation

図3: 日本国債ポジションの推移と分布(左:ベースラインシナリオ、右:南海トラフ地震シナリオ)

Macro-to-Micro Simulation

図4: 外国株ポジションの推移と分布(左:ベースラインシナリオ、右:南海トラフ地震シナリオ)

Macro-to-Micro Simulation

図5: 外国債券ポジションの推移と分布(左:ベースラインシナリオ、右:南海トラフ地震シナリオ)

信用リスク分析

市場評価にとどまらず、南海トラフ地震はデフォルトリスクおよび信用格付変動リスクの双方に対しても重要な影響を及ぼす。特定のリスク要因についてミクロレベルの分析を行い、その結果を事後的に統合・処理することで、有益な信用リスクに関する示唆を得ることができる。以下の節では、単一銘柄のデフォルト確率と信用格付変動確率の2つの事例を用いてこれを具体的に示す。

デフォルト確率への影響

主要な日本企業を対象として、5年物CDS クレジットスプレッドのショックを用い、デフォルト確率6を推計した。その結果、全体的な信用状況の悪化が示され、特に格付けの低い企業においてデフォルトリスクの上昇がより顕著であることが明らかとなった:

信用格下げ確率

推論モデルから得られた出力は、S&P Market Intelligence のCredit Transition Product (CTP)への入力データとして利用できる。CTPは単一銘柄およびセクター別のCDSパー・クレジットスプレッド、Zスプレッド、株価指数、水準、ならびにGDP7 などの指標を含む複数の要因を取り込み、信用格付けが引き下げられる可能性を推計する。

以下に、同一企業群を対象とした1年先の格付け引き下げ確率を示す:

デフォルト確率への影響と同様に、信用格下げ確率も、格付けの低い企業ほど大幅に上昇する傾向が確認された。中には、1年以内の格付け悪化の可能性が10パーセントポイント増加した企業もある。また、一部の企業では、この確率が約6〜8%から10%を大きく上回る水準へと上昇しており、地震ショックが与える重大な影響を浮き彫りにしている。

結論

効果的なリスク管理フレームワークは、専門家の判断、拡張性のあるソフトウェア基盤、ならびに高度な分析モデルを統合し、シームレスかつ透明性の高い柔軟なワークフローを構築するものである。本稿で提示した枠組みは、マクロレベルの事象を、取引単位の損益 (P&L)影響や個別銘柄ベースの信用リスク指標といった粒度の高いアウトプットへの変換する方法を示したものである。本ケーススタディは特定のマクロ事象およびポートフォリオに焦点をあてているが、この手法自体は、過去シナリオと仮想シナリオの双方に広く適用可能である。

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